誰も自由や自我を全くの空想として片づけようとはしないだろう。実際のところ哲学の存立は、それらの真実性にかかっていると言ってもいいのである。というのも普通一般に信じられているように、世界の内奥の真理を探究し、飽く事なく知を愛し求める点に、哲学固有の本質があるわけではないからである。むしろそれは科学の使命であり、人間の自然本性に深く根ざした傾向と言えよう。しかるに哲学はそのように自然な要求ではなく、たまたま歴史上ギリシアの地のみに出現したかなり奇妙な、むしろ徹頭徹尾不自然な態度なのである。なぜならそれは真理には還元されない自由を愛し、知には解消されない自己を尊重するからである。一言で言えば、哲学とは知のただ中に於ける知の権威主義(惑溺)との闘いであり、自由な精神への不断の試みなのだ。哲学に於いて認識が絶えず問題となるのはその限りでの事であり、認識そのものの価値を至上のものとしているからではない。
田島正樹「形而上学という物語:ライプニッツの二つの主題による変奏」野家啓一編『物語:現代哲学の冒険8』(岩波書店、1990年)、165-6頁。
朝:抜き。
昼:トマトソース(しめじ、ツナ、玉ねぎ、人参、にんにく)のパスタ。
夜:
朝:納豆、味噌汁、焼魚。
昼:本日のパスタセット(トマトソース)。
夜:白米、海老フライ、千切りキャベツ、トマト、いんげんとアスパラ茹で、キムチ、いちご。